幸せのチーズケーキ

2016年02月10日

なぜ....「幸せのチーズケーキ」と言うネーミングにされたのですか...?

よくお客様に尋ねられます。

まずはお召し上がりくださいませ......。そうお答えさせて頂きます。


学生時代...アメリカのLAにホームステイをしていました。

初めて見るアメリカは何もかもが新鮮で、毎日が夢の中にいるようでした。
子どものころから憧れていた夢に見たアメリカのメインランド!

奥様は魔女(笑)!に、出てくるような、大きな冷蔵庫や大きなプールに暖炉。
素敵なホームパーティー。

そしてホストマザーが毎日焼き上げる、手作りのブラウニーやアップルケーキ。


日本に帰国し、人生観も大きく変わり、ライフスタイルやケーキ作りに夢中になりました。


有田で、創ギャラリーおおたをオープンするとき、真っ先に思い出したのは
あのシンプルなアメリカンケーキたち。

毎日、毎日、ケーキを試作します。

焦がしたり膨らまなかったりダメにしたケーキはなんと、数百個(笑)。

子供達や友人たちが犠牲になります(笑)。

それでもあの時感動したインパクトのあるケーキはなかなか焼けません。
お客様には感動をお届けしないと意味がありません。

やはり私には無理なのかしら...。

ある時なんと材料を間違えて焼いたケーキが親友に大好評。

あの旅の絵本の友人です。
毎日毎日来てくれます。

「ああっ...しあわせ~。」と一言。

その時の彼女の幸せそうな顔と笑顔が今でも忘れられません。

敬意を込めて、そっくりそのままネーミングにさせて頂きました!

大親友のМ子さん。
彼女は声楽家でピアノの先生。
二人とも学生時代を東京で過ごし、有田へ嫁ぎます。
彼女は東京、私は埼玉から。

ある方のご紹介で知り合い二人は意気投合。
彼女は町のピアノとコーラスの先生、私は英語教室をはじめて...。

楽しい時も苦しい時も、本当にどんな時も、私を常に支えてくれた大親友でした。
信じる事、信じ合える素晴らしさを、小さな体でいっぱいに教えてくれました。

彼女がいたから有田で頑張れた。と言っても過言ではありません。
当時、なかなか有田になじめない私を常に思いいっぱい力尽けてくれました。

いつもどんな時も私を支えてくれたМ子さん。
子供達も本当に大好きでした。

今は、東京へ帰ってしまったけれど、あなたと作り上げたあの幸せのチーズケーキは
今もこうして沢山の方が愛して下さっていますよ。


言葉では言い表せないほど感謝をしています。

今もきっと東京から私たちを、見守っていてくれていると信じています。


当時、まだまだふわふわとろりのチーズケーキは本当に珍しく、
ほとんどのお客様が幸せのチーズケーキに夢中になりました。

苺のショートケーキやチョコレートケーキにアップルパイと抹茶のケーキ。

毎日日替わりで焼き上げるケーキの中でも、幸せのチーズケーキは抜群の人気でした。

そしてお陰様で、有田焼カレーに並ぶおおたの看板商品に育ってくれました。


今では誠実な料理長と笑顔の素敵なパティシェ達が一つ一つ丁寧に、こころ一杯焼き上げてくれます。

簡単そうでなかなか難しい、おおたのケーキはシェフ達を時々悩ませますが、
先にマスターした料理長が優しく指導して私の味を守ってくれるのです。

焼き立ての幸せのチーズケーキ。

本日も優しく、みなさまに、愛と幸せを運んできてくれます。

ふわふわトロリのチーズケーキ...久しぶりに召し上がってみませんか。

今はお雛様の季節です......。



幸せのチーズケーキ



































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Posted by 有田テラス at 10:21 | Comments(0) | 創ギャラリーおおた物語
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